当店の写真を集めました。文化財に登録された商店を探検しませんか
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母屋
母屋は山本勝之助商店を創業する以前の、当店が木蝋(ろうそく)問屋を営んでいた江戸時代に
建てられたものです。明治39年(1906年)に3階を増築して以来ほとんど改装しておらず
当時のたたずまいが残っています。
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高速道路を降りて東に向かうと、見えて来るのがこの風景です。
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ここが商店の部分です。2階は昭和40年代までは住み込みの従業員の部屋でした。
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「手廻しせねば雨が降る」の看板です。昔からこの場所にかかっています。
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玄関右の上がり口の部屋には、かねいちのロゴ入りの箱がいくつも壁の上にかかっています。箱には提灯などが入っています。
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扉を開けるとお座敷の外周廊下に出ます。ここの雑巾掛けは子供の仕事でした。
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廊下のガラス戸です。戸袋に収めて開けます。文化財調査員によると、この1枚1枚波打っているガラスがとても貴重だそうです。
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3階です。ここで勝之助は浄瑠璃を演じていたそうです。
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3階は外周部分がありお城の天守閣のような構造です。ガラス戸がなく雨風が室内に入り込むので、天気の悪い日は雨戸があけられません。ここからは360度の方角が見渡せます。
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庭
隠居
代々、家業継承後の当主が隠居しておりました。中国のお寺のような外観やカエルの石造、
ふすまや戸袋に貼ってある書画が、何ともユニークで不思議な空間です。
昭和初期の洋風な洗面所は、トトロの家の雰囲気があります。
奥の蔵
ここは夏になれば籐の椅子が、冬には火鉢やストーブが、法事の時には揃いの湯呑みが、
ドラえもんのポケットのように必要なものが、魔法のように出てくる蔵でした。
前の蔵
かつては棕櫚の箒やロープがここから荷積みされていきました。(左から2枚目は昭和30年代当時の
写真です)
今も外観は変わりませんが、積荷はありません。桜が美しい県立公園が近くにあり、
「亀池公園前」というバス停の屋根代わりとして役立っています。
横の蔵
現在はここで山椒の集荷と出荷をしております。かつては山産物でいっぱいでした。
壁には100年ほど前の墨で書かれた教訓や落書きがたくさんあります。階上からの
荷物の積み下ろしのため、天井の一部は開いています。上からのぞくと足がすくみます。
たぬきの倉庫
この倉庫はしばらく使っていないうちに野生のたぬきが住みついていました。
「たぬきの倉庫」と呼んでいました。中に入ると時間が止まったかのような錯覚に陥ります。
子供のころ中を探検すると、棕櫚を運びやすく立方体に固めたものがいくつも入っていてその上に
上って遊んでいました。脱穀機やスクーターやボート、いつからそこに置かれていたのかも知れない
時代を超えた道具たちも、棕櫚に混じってこの倉庫の中で眠っていました。
伊太祁曽神社
敷地の一角に杉檜、まき、もみ、かし等を植え込んだ自然林が造られています。勝之助はつねひごろ、
棕櫚や山椒などの山産物は、木の神様「伊太祁曽(いたきそ)大神」から授かた木の幸と感謝し、
昭和13年(1938年)、ここに伊太祁曽神社から分祀いただいて神社にしていました。
堀池
この堀池は「ほうり」と呼ばれ、夏には一面に睡蓮の花が咲きます。冬には亀が甲羅干しをする姿も
見えます。
その昔には「田うなぎ」もいて、池の大掃除の際にうなぎを採って宴会をしたそうです。
横を流れる溝にはいまでも蛍を見ることができます。
畑
裏の畑には毎年、春には土筆(つくし)は生え、夏にはカブト虫の幼虫が這い出してきます。
ほかにもトンボや蝶々をはじめ、カエルやトカゲ、ヘビも住んでいます。植物も多様で、
季節の野菜と草花のほか、ブドウや、山桃、ザクロ、木苺、山椒、栗、柿、月桂樹、藤などの
樹木もあります。子供のころは鶏を数羽飼っていました。